ものがたりとしての東洋医学

ニンゲン生きていれば、生き死にや病、天変地異など、何ともやりきれないことに出くわすことがあります。

 

そんな時、科学的な正しい説明だけでは、どうにも折り合いがつかないことがあると思いませか?

 

・・・

 

「心臓が止まったから死んじゃったんです」

 

確かにそれは正しい。

 

でも、それではなんとも心の隙間を埋められなくて、折り合いがつかなくて、だからこそ僕たちはそこに意味を求めます。

 

「もしそこに意味があるとしたら何だったのだろう?」

 

・・・

 

意味などないのかも知れません、でもそんなことはどうでもいいのです。無理にでもそこに意味を見出すことで、何かの生きるよすがにしたいのです。

 

正しいとか間違いではなく「うんうん、そうだよね、そうなんだよね!」と、深い部分の隙間を癒し、前を向くための物語。

 

神話や物語は、そのように生まれた、と聞いたことがあります。

 

・・・

 

そんな神話から生まれた東洋医学の本来の役割とは、そんな所にこそあるのではないかと思うのです。

(※ 東洋医学の古典は黄帝や神農という神様が、人間にこの世界や病や生き死にについて語ったものです)

 

だとしたら、そこに出てくることを「その物ズバリ」で受け止めるのではなく、神話の中のドラゴンも「メタファー」として捉えるとうまく理解できるように

 

東洋医学の弁証もメタファーとして捉えると、とても納得的なのです。嘘がない。

 

このような考え方は一般的ではありませんが、いろんなことを学んだり、体験してきて、今僕はそんなところにいます。

 

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